我ら三商ファミリー

三商の同窓生同士で結婚するケースは多いようです。旧制府立三商時代では男子校でした。1952年昭和27年卒19期生からは女子が4名卒業、36期生からは男女比率は逆転しましたが、相当のカップルが誕生したり、兄弟姉妹、親戚で三商生だったケースは多いと思います。そこで「我ら三商ファミリー」としてそんな三商同窓生のファミリーをご紹介させていただきます。

三商ファミリー2回目は、28期亀田光昭さん、31期亀田八千代さんと娘さん二人の4人ファミリーです。

清澄

今回の三商ファミリーは、29期亀田光昭さんのファミリーをご紹介させていただきます。今回は夫婦親子四人の三商ファミリーです。29期亀田光昭さん、奥様は31期旧姓本多八千代さんです。そして二人のお嬢様、57期貴子さん・60期奈津さんの4人が三商同窓生なのです。  亀田家の皆さんは深川清澄にお住まいです。近辺には隅田川で一番美しい「清洲橋」、紀伊国屋文左衛門屋敷跡と言われる「清澄庭園」、「芭蕉の奥の細道出立の地」にも近い清澄の街ですが、もう一つの名物は相撲部屋です。亀田家の隣は「尾車部屋」と「高田川部屋」で清澄2丁目の町内には5つの相撲部屋が集中しています。両国国技館にも近い清澄の街を歩けばあのビン付け油の匂いのお相撲さんが普通に歩いています。

亀田家は終戦後二歳だった光昭さんも含め、大連やソウルから引揚げてきて、この地に事務所用家具製作会社「サンキ工芸」を創業されました。父親の勧めで家業の帳面付けができるようにと三商に入学し23番の都電で越中島まで通ったわけです。しかし3年の5月26日(亀田さんははっきりとこの日を覚えています)突然進学する決意をし、当時の担任川杉先生に相談しました。「明日から学校に来なくてもいい!」退学ではありません。勉強に専念するため、学校に通学しなくてもいいとの判断なのです。当時はすごいことを判断する先生がいらっしゃったのですね。

川杉先生

そこで予備校の講習に出て、学校には時々通学していました。それなのに3年の欠席は通信簿には5日間(三商祭の3日・体育祭・卒業式)だけ!この5日は全員出席しなければいけない日だったので・・とのことです。ですから卒業式も出ず勉強していたわけです。先生もすごいですが生徒もやるときはやるわけです。

亀田光昭

浪人覚悟で受験に臨むわけでしたが、父親からどうせ不合格なら「一番受験料が安い大学にしろ!」との意見で「東京理科大」を受験しました。ところが合格!三商から理科大と言う異彩の進路は数学物理が好きな少年だったからではないようです。

奥様の旧姓本多八千代さんとの出会いは「東京理科大」の学園祭でした。生徒会活動の1年後輩30期藤倉さんが学園祭に連れてきたのが2年後輩の八千代さんだったのです。

八千代さんは松江三中出身で新小岩から錦糸町へ。28番都電で三商に通いました。英語部で活躍されました。大学生と女子高生のお付き合いが始まったわけです。まぁ青春ドラマみたいですね!卒業後川村学園教員として就職し「コツコツ努力する」光昭さん24才を好きになった八千代さん22才はめでたく結婚し、八千代さんも清澄の住人となったわけです。    

お二人には3人の姉妹が誕生しましたが、光昭さんは米陸軍の研究費で、米国で12年間ユタ大学化学科客員研究員、理学博士、同時に川村女子大教授、東京理科大学顧問、村田学園理事長と大変忙しくご活躍なさっていました。そこで生花の先生もしていた八千代さんは興味もあった「インドア・グリーンインテリア」の勉強を始めました。日本では女性として初めての「園芸装飾技能士」の資格取得をし、休業していた「サンキ工芸」の名前を引き継ぎ、「サンキグリーン産業株式会社」を起業したのです。ですから社長さんです。子育てと主婦・社長業の3つをこなして来た三商生も異彩ですね。

こんな三商夫婦の娘さん「57期貴子さん」「60期奈津さん」も両親の姿を見て私も三商に行くんだと考えられたのでしょうか?ご両親からは特に三商への入学は勧めなかったそうですが・・・・・ 。お二人の在校時代には母親の八千代さんはPTA役員にも就任なされ、三商PTA活動にもご協力をいただきました。取材では「貴子さん」「奈津さん」とお会いしてのお話はできなかったのですが、亀田さんにはお孫さんが3人いらっしゃるとの事です。ぜひお孫さんにも三商に入学していただき、三世代三商ファミリーを実現してもらいたいと思います。

事務局より、ご紹介する「三商ファミリー」の情報を募集しています。あの人の家族は3世代三商ファミリーだとか、親子・いとこを加えると10人いるぞ!など情報をお寄せください。           2014.2 取材

三商ファミリー1回目は、22期荻野弘康さんのファミリー。4人が三商卒業生です。

現在南千住で会計事務所を経営されている1955年昭和30年卒22期生の荻野弘康さんのファミリーは会計人家族です。奥様の通子さんは27期生でしたが3分の一しか女子がいない時代でしたから大変モテたに違いありません。何故5歳も下の三商同窓生とご結婚なさったのかは?荻野さんの同期生22期金井一夫さんの妹さまが通子さんだったのです。ですからこれで三商ファミリーは三人になりました。荻野さんの4つ下の弟さま秀道さんも兄の通った三商を目指して入学なさったのです。これで4人となりました。三兄弟の末っ子の信樹さんは別の商業高校から税理士の道へ進みました。

22期生弘康さんは高校生で起業!スーパー高校生

中学生時代に珠算一級を取得した弘康さんは三商生時代にそろばん塾を自宅に開業しました。お父様は警察官でしたから家業を継いだわけではありません。当時は町に必ずそろばん塾があった時代とはいえ、高校生が経営者になるとは信じられませんね。当時の収入だけでも三商教師の給与を上回っていたそうです。もちろん高校の学費も中央大学への進学費用や学費も自分で稼いだわけですから、商業実践を自ら行っていたことになります。南千住発22番と28番の都電を乗り継いで三商に通い、学業終了とともにすぐ自宅に戻り塾を運営したり、深夜までガリ版きりの問題集作成や採点をしていたそうです。スーパー高校生ですね。

荻野三兄弟 荻野そろばん塾にて

左 26期荻野秀道さん
中 22期荻野弘康さん
右 弟 荻野信樹さん

日本一を輩出している荻野三商ファミリー

22期弘康さんは全国簿記コンクールで個人優勝、弟の26期秀道さんは珠算日本一、さらには27期奥様通子さんも三商時代に放送部で、東京都放送コンクールで優勝なさっています。24期金井一夫さんも公認会計士として活躍なさり、平成17年にはその功を認められ「旭日小綬章」を授賞なさっています。まさに三商ファミリーの真価発揮ですね。 荻野秀道さんも公認会計士の道を進み、活躍なさいましたが残念ながら平成9年にご逝去なさいました。

「三商会計人会」でも活躍中の荻野弘康さん

22期荻野弘康さんは三商同窓生で会計士や税理士の方々の会「三商会計人会」の副会長・「中央大学会計人会」会長としても活躍中です。この「三商会計人会」は多くの会計人を輩出した都立第三商業の校歌から名付けた「都の空」という会報誌を毎年発刊しています。この会報誌をお借りしてきましたので三商アーカイブスに保存させていただくことにしました。

荻野弘康さんも金井一夫さんも亡くなわれた秀道さんも三商で商業科目の基礎を学び、さらに大学で勉強を深めて、難関の税理士試験を突破されて会計の世界で成功を治めていらっしゃいます。商業高等学校の利点である商業教育を高校時代にしっかりと勉強なさった「荻野三商ファミリー」は私たち三商同窓生の誇りと言っても過言ではないくらい素晴らしい同窓生です。現役の三商生にもぜひ伝えたい三商ファミリーでした。   2014年1月取材

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